2009年12月06日

歩々清風 金子智一伝

歩々清風 金子智一伝

ウオーキングとユースホステルに生きた男。若き日のインドネシア独立運動から、戦後のユースホステル運動、そしてウオーキングを通じた心身の健康と国際交流を訴えて世界を駆け巡り、地球を二周半歩いた男の清冽な物語。

253ページ
出版社: 平凡社 (2003/11)
ISBN-10: 4582831923
ISBN-13: 978-458283192


著者・佐藤嘉尚

 1943(昭和18)年11月8日秋田県能代市二ツ井町に生まれる。
 県立秋田高校を経て、慶応義塾大学文学部国文科中退。大光社編集長ののち、71(昭和46)年株式会社面白半分設立、月刊雑誌『面白半分』を発行。吉行淳之介、野坂昭如、開高 健、五木寛之、藤本義一、金子光晴、井上ひさし、遠藤周作、田辺聖子、筒井康隆、半村 良、田村隆一各氏が歴代編集長を務め、70年代活字文化を代表する月刊雑誌となる。
 72年「四畳半襖の下張」を同誌に掲載したことにより野坂昭如氏とともに猥褻文書頒布罪で起訴され、80年最高裁で有罪判決(罰金15万円。野坂氏罰金10万円)を受けるまでの足掛け9年間被告席に座った。

 1980(昭和55)年、同誌終刊。翌81年、房総半島南端の千葉県館山市に移住しペンションかくれんぼを経営。88年、かくれんぼを含む7軒のペンションを統合しホテルオーパ・ヴィラージュ開設に関わる。

 1992年の自民党総裁選挙において宮澤喜一氏の広報を担当し、宮澤総理誕生に貢献。

 「伊能ウオーク」(平成の伊能忠敬・ニッポンを歩こう)を提唱、99年〜1年の 2年間、朝日新聞創刊120周年記念事業として実施された。

 著書に、『全国ペンション100選@A』(新潮文庫)、『ぼくのペンション繁昌記』(集英社文庫)、『ペンション村ラプソディ』(朝日新聞社)『風と歩く 小説・伊能忠敬と四人の妻たち』(KSS出版)、『伊能忠敬を歩いた』(新潮文庫)、『歩々清風 金子智一伝』(平凡社)などがある。
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posted by ss at 12:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本ウオーキング協会

日本ウオーキング協会

 日本ウオーキング協会は昭和39年10月、おりから「東京オリンピック」が開催されていた東京で「歩け歩けの会」として誕生しました。1964年10月17日でした。 前年、サンフランシスコからニューヨークまで、歩いてアメリカ大陸6千キロを横断してきた早大生の大西七郎さんが、早稲田、日大、青山、慶応、中央、御茶ノ水等の仲間と共に「みんなで歩こう!」と呼びかけて始まったのです。初代会長は、アマチュアレスリングの父、八田一朗さんでした。

 学生を中心に、毎月第1日曜日をみんなで歩く日と定め、全国に歩け歩け運動を提唱し、実践を重ね、海外にも足を伸ばし、「日本歩け歩け協会」と改称した会は、設立10周年を期して第二代の会長に日本ユースホステル協会の創立メンバーであった金子智一さんを迎え、全国各地に歩け歩け運動の機運が高まるなか、学生主体から徐々に社会人が中心の運営に移行するなかで、昭和58年、1983年6月5日、400人の会員が5万円づつ基金を出し合い、環境庁(当時)認可の社団法人へと発展しました。

 ウオーカーの、ウオーカーによるウオーカーのための協会として、運営方針はボランティア精神による受益者負担と自助努力がモットー。国庫補助は一切受けない「金子スピリット」で国際マーチングリーグ(IML)、日本マーチングリーグ(JML)を創設し、「2キロまではいつも歩こう」を合言葉に全国に、アジアに、そして広く世界に楽しいウオーキングの普及を目指して積極的に事業を展開しました。

 1997年11月には、江橋愼四郎第三代会長のもとに「第1回世界ウオーキングフェスティバル」を世界26ヶ国の代表と千名を越える外国人ウオーカーの参加のもとに開催し、第20回日本スリーデーマーチには、なんと三日間で10万人を越えるウオーカーが参加して大盛況でした。


設立 :1964年10月17日
所在地 :〒113-8530
 東京都文京区湯島1-2-4神田セントビル
   TEL 03-5256-7855
   FAX 03-5256-7856
所管 :環境省・厚生労働省
最寄駅 JR御茶ノ水駅 聖橋口から徒歩6分
posted by ss at 12:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

金子智一

金子智一

 横山祐吉先生と、ともに日本ユースホステル協会をたちあげた中心的な存在です。金子智一は当初ユースホステル協会の実務の責任者的な役割を果たしながら、下中弥三郎先生の秘書役も続けていましたが、昭和二十八年には日本ユースホステル協会の専従になりました。

 さらに金子智一先生は、インドネシア独立の功労者でスハルト大統領からインドネシアの最高功労勲章「ナラリア勲章」を授与されています。また、日本歩け歩け協会(現日本ウォーキング協会)会長にもなり、更には日本マーチングリーグを創立し会長を務めています。


金子智一は一九一四(大正三)年一月五日、東北最高峰の鳥海山の西南のふもと、現在の山形県遊佐町大字北目字丸子五三番地に生まれました。山形県の最北端で、庄内平野の北端でもあり、秋田県に接する日本海側の農村です。酒田中学を卒業。十ヵ月後の一九三三(昭和八)年一月に、金子智一が京都の「里見日本文化研究所」に内弟子として入所。

 中山正男と出会ったのは、評判になっていた戦記小説『脇坂部隊』を読んで感激し、長文の感想文をその作者中山正男先生に郵送しました。すると、中山正男先生から巻紙の墨黒々とした筆書きの返信が来て、西銀座の天ぷら屋「天国」で会いたいといます。この出会いが金子智一先生と中山正男先生のそれ以降の公私にわたる人生を決定づけることになります。会って十分もしないうちに中山は、
「おい、金子君、あしたからわが社へ来てくれたまえ」
と中山正男先生のぺースに巻き込まれ一緒に仕事をすることになりました。そして日本ユースホステル協会で大活躍し、日本ウォーキング協会を大きく発展させます。
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