2009年09月22日

金子智一

金子智一

 横山祐吉先生と、ともに日本ユースホステル協会をたちあげた中心的な存在です。金子智一は当初ユースホステル協会の実務の責任者的な役割を果たしながら、下中弥三郎先生の秘書役も続けていましたが、昭和二十八年には日本ユースホステル協会の専従になりました。

 さらに金子智一先生は、インドネシア独立の功労者でスハルト大統領からインドネシアの最高功労勲章「ナラリア勲章」を授与されています。また、日本歩け歩け協会(現日本ウォーキング協会)会長にもなり、更には日本マーチングリーグを創立し会長を務めています。


金子智一は一九一四(大正三)年一月五日、東北最高峰の鳥海山の西南のふもと、現在の山形県遊佐町大字北目字丸子五三番地に生まれました。山形県の最北端で、庄内平野の北端でもあり、秋田県に接する日本海側の農村です。酒田中学を卒業。十ヵ月後の一九三三(昭和八)年一月に、金子智一が京都の「里見日本文化研究所」に内弟子として入所。

 中山正男と出会ったのは、評判になっていた戦記小説『脇坂部隊』を読んで感激し、長文の感想文をその作者中山正男先生に郵送しました。すると、中山正男先生から巻紙の墨黒々とした筆書きの返信が来て、西銀座の天ぷら屋「天国」で会いたいといます。この出会いが金子智一先生と中山正男先生のそれ以降の公私にわたる人生を決定づけることになります。会って十分もしないうちに中山は、
「おい、金子君、あしたからわが社へ来てくれたまえ」
と中山正男先生のぺースに巻き込まれ一緒に仕事をすることになりました。そして日本ユースホステル協会で大活躍し、日本ウォーキング協会を大きく発展させます。
posted by ss at 09:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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